プロローグ


  和神34年・・・
  西方大陸で起こった蛍雪の乱は桜家家臣・明鶴院玄燈によって鎮圧された。
 夕刻近い中央大陸西端の街道には、その死地からなんとか命を拾った傭兵達が列
 をつくっていた。
 
  その一番後ろ・・・少し離れたところに、他とは少し違う二つの人影がある。
 一人は古い擦り切れた墨染めに身を包んだ、僧とも物乞いとも見える若い男。
 アゴには無精ひげを生やし、左の目には大きな傷跡がある。
  もう一人は美しい顔立ちの女。眼鏡をして、髪は肩ほどまでで外へはねており、
 懐には機面鏡を大事そうにかかえている。
  二人は連れのようだが、何も話さない。ただ、黙々と列をゆっくりとついていく。
 
 ふと、女が立ち止まる。若い男は、少ししてからそれに気づき被っていた笠をあげて
 尋ねる。
 「どうかしましたかな?霧子殿。」
 きれいな鈴の音のような、しかし凛とした声で女が答える。
 「霧子ではなく、護號霧子・・・そう呼んでくださるようお願いしたはずです。それが私に
  与えられた、私だけの名前なのですから。」
 「そうでしたな・・・護號霧子殿。それで・・・」
 「いえ、なにか・・・少しだけ胸騒ぎがしました。私と魂を連ねるものに災厄が降りかかる
  ような、そんな気がするのです。」
 「ふむ、あんなことがあった後ですからな。貴女も疲れておられるのだろう・・・。」
 そのとき一羽の燕が、男の目の前を低く飛んだ。
 「・・・これはひと雨くるかもしれませんな。」
 「どうしてそう思いますの?」
 「雨が振る前には餌になる虫が低く飛ぶ・・・そのため燕も低く飛ぶのだと、聞いたことが
  あります。虫の知らせ・・・というやつですかな。」
 「物知りですのね。わたくし、螢雪さまに仕えるときにいろいろなことを学びましたけど、
 まだまだ知らないことばかりですわね。」
 「雨とは鬱陶しいものですな。しかし誰も、その雨の恵みなしでは生きることはかなわぬ。
  人の心もそういうものです。雨が無くては成長することはかなわぬ。なんと面倒なことか。
  それでも、何事もなく平穏に暮らすことで心が乾いてしまうよりはよほどいい。そうは思い
  ませんかな。・・・まあこれは師匠の受け売りですがね。」
 「そうかもしれませんわね。それでも・・・」
  護號霧子の頬に冷たい感触が当たる。男は笠を被りなおして言う。
 「きたようですね。さあ、少し急ぎましょうか。」
  男が歩を速める。護號霧子は露板を叩き、鮮やかな傘を取り出し男を追った。
 「お待ちくださいませ。・・・・・様。寂・・・様。」
  雨が足跡と、声を掻き消す。
 
 それは始まりの雨。20年前と同じ、ありえぬ邂逅を知らせる、雨。




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